作るということ

幼稚園で子どもたちは、実にいろいろなものを作ります。いわゆる「製作」とよばれる活動です。段ボールに色を塗って車や船を作ったり、木工遊びをしたり、画用紙に色紙を切り貼りしたり・・・。

どうして幼稚園では何かを作る活動がこんなにいっぱいあるんだろう?幼稚園で何かを作るという行為は、子どもたちにとってどんな意味があるんだろう?って思ったことはありませんか。

なにかを作ることの意味

私は、幼稚園で子どもたちが何かを『作る』というのは、子どもたちが「自分自身を『何かを作り出すことができる存在』だと確認すること」だと考えています。だから、幼稚園の製作では、上手とか、出来映えとか、そんなことはまったくどうでもいいことで、子どもたちが何を作ったかではなく、何かを作り出したという経験それ自体に意味がある、と思っています。

そういう意味で「粘土」は、幼児期の子どもたちにとって、とても望ましい造形素材だといえます。粘土は、子どもたちの力で自由に形を変えることができます。こういう粘土のような素材を「操作性が高い」といいます。わかりやすく言えば「あつかいやすい」ということです。この「あつかいやすい」ということが、とてもたいせつです。

子どもたちは粘土をこねて、まんまるのお団子を作り、細長~い蛇を作り、平べったいおせんべいを作ります。子どもたちは十分に有能感自分自身を有能な存在だと肯定的に認識すること)を味わい、自信をつけていきます。そしてそれが「育つ」ということだと思います。

さて、幼稚園で子どもたちは、何かを作ることを通じて、自分自身が何かを作り出すことができる存在だということを、日々確認しています。それでは、私たち大人は、日々の生活の中で、自分自身を何かを作り出すことができる存在だと感じているでしょうか。

現代社会は、人々の役割が細分化して、生活に必要なものを自分自身の手で作り出すことがなくなりました。早い話が、毎日の食卓に並ぶ食べ物は、お父さんが海で釣ってきた魚なわけではないし、お母さんが畑でとってきた野菜ではありません。(もしかしたら釣りに行ったかもしれないし、家庭菜園で収穫したかもしれないけど、今はそういう例外的な話をしているわけではないので、よけいな突っ込みはしないように・・・笑)住んでいる家も、家具も道具も、身の回りのものはすべて、知らない誰かの作ったものです。

「自分の生活を支えているものが作られるプロセスが見えない」というのは、子どもたちが育っていく過程で、実は大きな問題なのではないか、とこのごろ思います。何年か前、幼稚園でこんなことがありました。

詳しい状況は忘れましたが、ままごと用の机か何かが壊れてしまいました。そうしたら、ある子どもが「買ってくればいいよ」といいました。もちろん悪気はありません。もしかしたら、私ががっかりしているといけないと、励ますつもりで声をかけてくれたのかもしれません。ただ、子どもたちにとっては、ものを手に入れるというのは、すなわち買ってくるということなんだ。という事実を目の当たりにして、私は少なからずショックを受け、思わずこう言いました。

「買わなくてもいいよ。作ればいいんだよ。」

そして、Y先生が子どもたちといっしょに牛乳パックで、こんなすてきなソファーとスツールを作りました。

子どもたちは、「うわあ、ほんとにソファーができたね」と目を輝かせました。私は、子どもたちに「作ればいいんだよ」ということを伝えることができて、うれしく思いました。

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